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元気に仕事ができるということ

未曾有のコロナ渦の中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

有難いことに、弊社では感染者を出さずに営業できています。

マスクやソーシャルディスタンスなど、いろいろと不便を強いられておられると思いますが、なんとかこの困難を乗り越えていけるよう、頑張ってまいりましょう。

未曾有といえば、私こと管理人は、昨年のことではありますが、貴重な経験をいたしました。

「激症型心筋炎」という病名を聞いたことがあるでしょうか。あまり耳慣れないとは思いますが、風邪の菌が心臓に入ってしまう、なかなかめずらしい病気だそうです。

私は昨年の夏、その病に伏せることになりました。

昨年の夏休みはいつもより少し長く、10日ほどありました。

夏休みの終盤くらいから体調が優れなくなり、風邪でもひいたかなと軽く考えていました。長い夏休みも終わり、仕事が始まりましたが、体調は相変わらず悪く、38°を超える熱が続きました。夏休みが長かったせいもあり、休みが明けてまたすぐ休むのも申し訳ないと思いながら会社へ通っていたのですが…

休み明け2〜3日が経過したころから息苦しさも加わって、我慢できるレベルではなくなってきたので、仕方なく会社を休んで病院へ。

診察の結果は「肺炎」。点滴と薬で治るとのことだったので、その日はそのまま点滴をして帰宅、翌日にはまた出社しました。しかし、一向によくなる気配はなく、息苦しさは増すばかり。その日の夜には冷や汗はダラダラと流れ、息苦しさも限界へ達したので、深夜でしたが再び同じ病院へタクシーで向かいました。

いろいろと検査した結果、肺炎は発症しているが、心臓にも問題があるかもしれないということで、心臓循環器内科のある板橋中央総合病院へ救急車で転院、そのまま心臓カテーテル検査を行いました。足の付け根から管を入れて、造影剤を投与しながら心臓を診るというものです。

検査中私はいつのまにか寝てしまったいましたが、ふと目が覚めました。しばらくそのまま検査の様子を見ていたのですが…

酸素マスクを付けていたのですが、だんだんと息苦しくなってきたので、酸素マスクをはずそうとしました。先生は「外すな!」と叫んでいましたが、もう限界!と、外してしまいました、その瞬間…

体に装着していたAEDが反応して電気の衝撃が走りました。「ああ、痛えな…」

私はそのまま意識を失いました。

真っ黒な暗闇の中が急にパッと明るくなり、ある部屋の中に投げ出されました。

部屋の壁には四角い箱が規則正しく並べられていて、その中に人間の形をしたゴキブリが飾ってありました。壁の反対側はガラス張りになっていて、昭和の街並みが見えました。ガラスの向こうには行けないようになっていました。

「ああ、これは夢の中だ。前にも見たことがあるし。」

なぜかそう思いました。

私にとっては一晩寝て、朝目覚めたような感覚でしたが、意識が戻ったのはあれから10日が経過していました。その時の記憶は曖昧で、夢と妄想と現実が入り混じったような、不思議な感覚でした。


当然、意識がなかったのですから、私本人としましてもその10日の間になにがあったのか知る由もありません。なので、聞いた話にはなりますが…

カテーテル検査中に心臓が停止してしまったそうです。意識が薄らいでいった時のことだと思います。すぐに電気ショックで蘇生したらしいのですが、不整脈を起こしてまた停止してしまったそうです。またすぐに動かすのは危険ということで、人工心臓につなげて三日ほど様子を見て再度蘇生。何度か電気ショックを試みて、ようやく動き出し、それから安定したそうです。私の胸のあたりには電気ショックのときの火傷がうっすらと残っていました。


その話を聞いて思ったのですが、意識が戻ったときに見た夢とは、この時のことなのだと。

前にも見たことがあるというのは、一度心臓が動き出したときに見たのではないかと。

ということは、意識と心臓は直結している?のではないかと思ったり思わなかったり…

はっきりと言えることは、死後の世界には三途の川もお花畑も何もなかったということです。

意識は戻りましたが、しばらくは朦朧としていました。自分の意思を相手に伝えることができるようになるまで、少し時間がかかりました。まだ挿管の管がのどに入ったままで、気持ち悪い。取ってほしいが、声が出ない。筆談で伝えようと思ったが、なぜか字が書けない。50音ボードを持ってきてもらって指さして伝えようと思ったが、腕が思うように動かせない。

10日間微動だにしなかったせいで、全ての筋肉が落ちてしまい、自分の体がまったく思うようにならなくなっていました。

自分の思いが伝えられない辛さ、とてももどかしく、苦しかったことを覚えています。

意思は伝わりませんでしたが、それから少しして、挿管の管は外してくれました。 よかった。

しかし、挿管の管が外されてもなぜか声は出ず。原因は挿管したときに声帯を傷つけたとのこと。命を優先した結果なので誰が悪いということではありません。声が出るには2〜3ヶ月くらいかかるかもしれないと…

まったく動かせない体を少しずつ、まずは腕から。腕を動かせる程度の筋力が戻るのは早かったですが、下半身は時間がかかりました。起き上がるのも一苦労。ベッドの淵に腰掛けることも人の手を借りなければできない。立ち上がるなんて無理!歩くなんて神だろ!

今まで何も考えずにできたことが一切できず、このまま一生歩けなくなるんじゃないかと思ったりしました。

しかしこれも少しずつ毎日、今日は1m、明日は2m、明後日は3mと、本当に少しずつ筋力を付けていき、ようやく一人で歩けるようになったころには、入院して一ヶ月半が経っていました。

あのときの病院関係者の皆様には感謝しかありません。

本当にありがとうございました。


そして、退院して一年が経ちました。初めはスカスカだった声もようやく出るようになり、家から会社までやっとの思いでたどり着いていたことも、笑い話にできるくらいまで回復しました。

健康がこれほど有難いものだということに気づかせてくれたのは、この病のおかげでした。

また、人はいつ死んでもおかしくない、ということも気づかせてくれました。

元気に仕事ができるということは、とても幸せなことなのです。


明日が来るのが当たり前ではありません。人生後悔をしないように、精一杯今日という日を生きてください。

そして健康に留意してお過ごしください。

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